玉縄城は玉縄の城。鎌倉・大船・玉縄、玉縄歴史の会。

活動内容

活動内容:平成31年/令和元年(2019年)

定例会・公開講座

開催日令和元年(2019年)12月1日(日)13:30~15:40
テーマ第265回公開講座:栗田家文書『御鷹御用留』を読む
講 師平田 恵美 氏(鎌倉市中央図書館 近代史資料室、当会・古文書の会講師)
発表者:岩間 勝之 氏、小坂 勝代 氏(当会会員、古文書の会会員)
会 場NPOセンター大船・会議室(たまなわ交流センター 1階)
参加者33名(会員25名、一般8名)
内 容 講師は始めに、栗田家文書『御鷹御用留』について、「栗田家(鎌倉市岩瀬)が保管している未公開の古文書であり、栗田家から提供を受けて玉縄歴史の会・古文書の会で解読・学習、詳細な分析を行っている」と説明した。
「相模国が江戸時代の鷹狩の御捉飼場(おとらえかいば)(※1)の域内に入り、鎌倉郡岩瀬村の栗田源左衛門が安政7年(1860年)3月に前任者を継いで有力農民などが任ぜられた野廻り役(※2)に就いた。
同御用留(※3)は、同人が元治元年(1864年)8月まで54案件を書き留め、内容や形式により『廻状』(※4)や書付(※5)等に分類でき、野廻り役の役割・仕事、村人に課せられた負担等が分かる。
「栗田源左衛門は原町田や雑司ヶ谷まで赴き案件を処理しており、当時45歳を過ぎていて幕府の権威の象徴であった鷹狩組織の中で激務だったのではと読み取れる」等と解説した。
岩間氏は、「御鷹御用留」を深く理解するため江戸時代の鷹狩の歴史、目的、組織等を詳細に興味深く説明した。
小坂氏は、御用留特有のサラサラとした書き方、虫食いやシミ等で判読が難しい原文をゆっくり、分かり易く解読した。
講師は最後に「この御用留は江戸時代幕末期の地味な古文書ですが、関心を持って読んでください」と語った。
<参考>(※1)将軍の鷹狩場の外側にある鷹匠が鷹を調教する場所で、普段は野廻り役が管理した。(※2)御捉飼場を巡回し治安維持・管理等の広範囲の役割を有した。(※3)江戸時代の村役人が領主から下達された触書、廻状を控え記録した帳簿。(※4)同一の文書を数人の受取者に回覧の方法で送る文書。(※5)注進内容等を書き記した文書で「書付を以て」と標題を付す。
平田先生小坂氏岩間氏
開催日令和元年(2019年)11月10日(日)13:30~15:30
テーマ第264回講座:玉縄北条氏を嗣(つ)いだ氏重と上嶽寺の文化財
講 師外山 信司 氏(千葉市立郷土博物館)
特別参加:京極 勇豪 師(北条氏勝菩提寺・寶金剛寺(佐倉市)住職)
会 場玉縄学習センター分室 2階(第3集会室)
参加者31名(会員25名、一般6名)
内 容 講師は始めに、「北条氏重(保科正直・四男)は、小田原合戦を境に中世の戦国武将から近世大名として生きた玉縄北条氏六代・氏勝の養子となり、遺領を嗣いだ玉縄北条氏最後の当主である。玉縄北条氏は氏勝の代で絶えたのでなく氏重へと続いた」と玉縄北条氏の歩みを語った。
 更に、氏重が氏勝の孫娘を妻に迎えたことを「北条家」と妻の「杉原家」の系図を辿って明らかにし、氏重の玉縄北条氏当主の立場を裏付けるものであると正統性を強調した。
 また、玉縄北条氏当主を物語る数々の事蹟、遺品や文化財を紹介したが、特に氏重が城主であった久野城(袋井市)、掛川城(掛川市)の玉縄北条氏家紋「三鱗紋」軒瓦、菩提寺の上嶽寺(袋井市)所蔵の「北条氏重肖像画」 (賛付)、「北条氏重木像」、「北条氏重と夫人の位牌」、「玉縄北条一族の位牌」、「氏重の側室の位牌」などの貴重な遺品類を配付資料と映像を用いて内容や史料としての評価などを詳細に説明した。
 講師は最後に、「玉縄北条氏を介して鎌倉を中心に袋井・掛川と佐倉とが交流していただき、結び付きが深まることを希望します」と話された。なお、当講座に北条氏勝菩提寺・寶金剛寺(佐倉市)住職・京極勇豪師が講師と同行して特別に参加し、下記の会場展示資料を提供された。
<参考>
・配付資料:「玉縄北条氏を嗣いだ氏重と上嶽寺の文化財」
・映像資料(パワーポイント)全60枚の写真
・会場展示資料 (寶金剛寺住職・京極勇豪師からの提供)
①玉縄北条氏旗(複製幟旗・「黄八幡」、「江戸時代の玉縄北条氏軍旗」)
②最近発見された極めて貴重な「北条氏繁位牌」(同時に、氏繁の室・七曲殿の位牌も発見されたが、損耗が激しく持参されなかった)
③北条氏重葬列図巻物
柏木先生講演会場の様子
真鍋先生講演会場の様子
開催日令和元年(2019年)9月1日(日)13:30~15:45
テーマ第262回講座:一遍上人と遊行寺(ゆぎょうじ)
講 師石塚 勝 氏(関東学院大学講師)
会 場玉縄学習センター分室 2階(第3集会室)
参加者56名(会員31名、一般25名)
内 容 講師は、時宗の二祖上人と尊称される真教(しんきょう)の七百年御遠忌を記念して、今月から遊行寺宝物館、神奈川県立歴史博物館において開催される特別展「真教と時衆」の前に同展に関連すること、全国にあまねく念仏を広めるために時衆(じしゅう―念仏の僧尼)を引き連れ、念仏と賦算(ふさん―念仏札の配付)を行い、一所不住の諸国遊行(ゆぎょう)を続けた時宗の宗祖一遍、一遍の後継者真教、一遍の孫弟子で清浄光院(しょうじょうこういん―遊行寺の前身)の開創者呑海(どんかい)らの生涯、事績等を辿り時宗・遊行寺の歴史を詳しく講義した。
一遍は「我化道(けどう)は一期(いちご)はかりそ」(私が念仏して、みなに布教するのは私が生きている間だけのことだ)と開宗の意思はなかったが没後、時宗宗祖とされた。
他阿弥陀仏(たあみだぶつ)真教は時衆をまとめ、時宗教団の基礎を築き体制を創始した事実上の教団祖である。
呑海は遊行上人引退後遊行寺に留まり(独住(どくじゅう))藤沢上人(とうたくしょうにん―遊行寺住職)1世に。以後、同寺最大の特徴である遊行上人譲位後藤沢上人に就き、遊行・藤沢上人が並立して時衆統括を行った。
1633年遊行寺が江戸幕府から時宗総本山に位置付けられ、時宗が宗派として確立した。山之内荘本郷は、元々一大穀倉地帯と製鉄工人集団が存在した地勢的な特徴を持っていた。初期の鎌倉幕府は糧秣・兵器の兵站基地としてその特長を生かし、かつ幕府の艮(うしとら)の方向に證菩提寺の前身である大寺を建立し、幕府鎮護のの宗教的要地化した。しかし、幕府が安定化するとその性格が変化していった。その経緯を詳しく解説していただいた。
北条先生講演会場の様子
開催日令和元年(2019年)8月4日(日)13:30~15:55
テーマ第261回講座:小田原合戦記~読本『小田原状』を読む
講 師伊藤 一美 氏(鎌倉考古学研究所・理事)
会 場NPOセンター大船・会議室(たまなわ交流センター 1階)
参加者41名(会員26名、一般15名)
内 容 講師は、小田原北条氏の最後と小田原合戦の様子を、徳川軍で小田原城の接収役・榊原康政が加藤清正へ宛てた書状「小田原状」全文を詳しく解釈し読み進めた。
講座の写本は、手紙形式の往来物と称し、裏表紙等の記述、本文文字が大きいことから明治5年貞宗寺に併設された学校の教科書・習字の手習い本でもあったと分かる。
小田原城内や周囲の町の様子等の記述箇所は、言葉や言い回しが「北条五代記」(巻9・10)に似ており、徳川方から見た北条氏一族滅亡に至る簡便な歴史書とは言え、信ずるに足る読本である。
玉縄城明け渡しの箇所では、「北条氏勝は住民に厚い思いを向け、住民の安全を取り付けた城主であった。誇ってよい」との見解を紹介した。
 最後に「『小田原状』は一回読めば小田原合戦の様子が分かり、正に玉縄城膝元の学校で使用する社会科の教科書に適し、思いを込めて読まれたと思う」と結んだ。
平田先生小坂氏岩間氏
開催日令和元年(2019年)7月7日(日)13:30~15:40
テーマ第260回講座:玉縄とその近郊の庚申塔を訪ねて
講 師鷹取 昭 氏(藤沢地名の会、日本石仏協会会員)
会 場玉縄学習センター分室 2階(第3集会室)
参加者36名(会員25名、一般11名)
内 容 講師は始めに、自ら神奈川県内の6,000基を超える庚申塔の所在調査を行い、『神奈川の庚申塔事典』(鎌倉市中央図書館にて閲覧可)として著したことを紹介した。
 講座は、その調査研究の成果を画像化した資料を用いて、「庚申の意義」「庚申信仰の歴史と現状」「玉縄城下の庚申塔」「鎌倉・藤沢の庚申塔」「青面金剛のいわれ」「さまざまの主尊」「ユーモラスな眷属(猿、蛇・龍)」等について解説した。
 特に、玉縄城下(玉縄地域)は植木・龍寶寺境内設置(3基)ほか10か所設置の庚申塔、それ以外の鎌倉・藤沢市内では坂ノ下・五霊神社石仏群のほか21か所設置の庚申塔等について、設置場所・造立時期・特徴(猿の姿態)・その他を詳しく説明した。
 最後に、「散歩しながら庚申塔を探しましょう」と庚申塔へ関心を持って欲しいことも述べた。
柏木先生講演会場の様子
真鍋先生講演会場の様子
開催日令和元年(2019年)5月12日(日)13:30~15:30
テーマ第258回公開講座:判明した玉縄城の全貌
講 師講師:大竹 正芳 氏(日本城郭史学会委員、日本画家)
会 場玉縄学習センター分室 2階(第3集会室)
参加者46名(会員29名、一般17名)
内 容 講師は、自ら団長として関わった2007年から2010年までの玉縄城祉の現地測量調査と、2015年に玉縄歴史の会と共同で行われた『くいちがい』(道筋が折れ曲がっている地形)と称する遺構の測量調査について、進め方や結果(内容)を形状・図面を板書しながら詳しく説明した。
現地は開発前の3分の1弱が残っており、思っていた以上に遺構が現存していた。
くいちがい遺構については、「玉縄城址本来の地形であり、他に類を見ない貴重な曲輪である。
などと強調し、「今まで漠然としていた玉縄城遺構の全貌がかなり判明した」と纏めた。
 また、講座内容の理解をより深めるため、5月20日予定の当会主催「玉縄城址見学歴史散策会」への参加を講演の最後に推奨された。
北条先生講演会場の様子
開催日平成31年(2019年)4月7日(日)13:30~15:20
テーマ第257回公開講座:木村 彦三郎「あ能(の)ころ」を読む
講 師添田 信雄 氏(当会会員・世話人)
補足解説:平田 恵美 氏(鎌倉市中央図書館 近代史資料収集室)
会 場玉縄学習センター分室 2階(第3集会室)
参加者36名(会員28名、一般8名)
内 容 講師は、『道ばたの信仰』などで著名な鎌倉の郷土史家・木村彦三郎が昭和51年(1976年)頃に『鎌倉タイムス』に連載した随筆『あ能(の)ころ』を読み、昭和3年(1928年)前後に『湘南ロッジ』を拠点にして反戦地下活動を行っていた社会活動家の一面を知り、大変興味を持ったことを披露し、解説がなされた。本講演を受けて、参加されていた平田恵美氏から同人の先達でもある木村彦三郎氏の生い立ち、広い交友関係、鎌倉アカデミア創設話などなどを年代を追って補足解説していただき、木村彦三郎氏の人となりの理解を深めることができた。
北条先生講演会場の様子
開催日平成31年3月3日(日)13:30~15:15
テーマ第256回公開講座:玉縄地域、関連地域の武将たち
講 師佐藤 邦男 氏(郷土史研究家)
会 場NPOセンター大船・会議室(たまなわ交流センター1階)
参加者33名(会員23名、一般10名)
内 容 講師は、天平年間から寛永年間までに及ぶ玉縄地域、関連地域の事象や主な武将たちの歴史的事績について年代を追いつつ解説された。
特に、玉縄城を築城した伊勢宗瑞及び同歴代城主と主な家臣団・玉縄北条一族の盛衰、鎌倉権五郎景政その他について、手元配付資料と貴重な回覧資料及び現地調査の体験談を交えて詳しく説明された。
平田先生小坂氏岩間氏
開催日平成31年2月3日(日)13:30~16:00
テーマ第255回公開講座:方位から見た大倉御所(試論)
講 師玉林 美男 氏(鎌倉市文化財課 嘱託)
会 場NPOセンター大船・会議室(たまなわ交流センター 1階)
参加者43名(会員28名、一般15名)
内 容 講師は講座の冒頭、「現在、大倉御所の推定地が私立清泉小学校の校地とその西側であるとの説が定説化しているが、検証はされていない。そこで改めて検証してみた」と前置きして、周辺の考古学的調査結果と『吾妻鏡』に記されている方位の観点とを論拠に挙げ、大倉御所の推定地を荏柄天神社下辺りとする仮説に基づく見解(試論)を説明された。
 なお、資料は『方位から見た大倉御所(試論)』(かまくら考古 第37号)を用いた。
柏木先生講演会場の様子
真鍋先生講演会場の様子